いまの仕事に必要なのは、私が培ってきた感性と耐性の真逆のもの。

何故かそこら辺が分かるひとが、職場にいるのよね。
さすが本社のマネージャーというか。

でもこれは経験がないと判らないと思う。
産みの、
その苦労と苦痛の向こうにあるのは、
満たされ切ったこころと、
とてつもない快感。

月にどれだけ残業しようと、
眠らなかろうと、
創るひとががそれが大好きなのは、
それがあるから。
私もいまだって、自分のブログのデザインを
「こうしたいっ」
と思うと時間を完璧なまでに感じなくなるもの。


創ること
ひとを認め、受け入れること

これが私の感性の中核にあるはずなのだが。


いまの仕事だって、
お客様の
「ありがとう」
に直接触れたくて選んだんだ。
面接のときにそう言った。
でも、現実は違うし、ある意味専門の職なのに賃金の設定が低く、おまけにやらなきゃ、覚える必要があることに際限はないし、その上で責任も求められる。(建物内はとても広い。)

あと、いまのところで大きな地震とかもあったら、どう考えても対応は無理だよ。だって、毎日全員が出勤している訳じゃないんだから。
上から言わせれば「それでもやるんだ」なのだろうけど、私が頭の中でどうこねくり回しても無理で、非現実的かつ理想論でしかない。非常招集かけたって、交通機関も寸断されていて我々自身がたどり着けやしない。その前に、電話が通じるのか?
上が言うように「非常時、緊急時のために我々がいる」というのなら、大きな災害という一番に必要とされ多くの命に関わるときに、我々はほぼ(まったくではない)役に立たないことになる。
対応マニュアルをちゃんと読んでおけと言われるのだろうけど、読んだだけ出来るんなら、初めから我々は必要ないし、かといってそゆときの訓練が必要なのに、全館規模での訓練を実施する訳でもない。
そりゃね、そっち方向のベクトルで自身を磨いて培ってきたきたひとならそれだけで可能だよ。
だから、ひとにってはチンプンカンプンなことも、ことによっては私はマニュアルをざっと読むだけで対応できることだってあるし、読まなくても勘で出来ることもある。
でも、いまの仕事に関して言えば私のベクトルは真逆に、しかも大きくのびているし、元々が覚えや慣れが遅い部類の私。(これ以上は言わずもがななので言わない。)


いまいるところの、私の試用期間も間もなく終わる。
私はもう一度考えないといけないかもしれない。
それじゃなくても、真逆に進むにはかなりの努力、時間、そしてそれをkeepするための膨大な精神力が必要なのが私だから。


written by かずちゃん(kazucy_i)かずちゃん