「なんでも」
という言葉を向けるとき、それは本当に「なんでも」を意味します。
だからぼくからの返事は、
「なんでもなんて判りもしないし、出来もしません」
です。
小学校から中学校までの9年間いじめられっ子の部類に属していれば、
"自信" という感覚など判らなくなります。
いまでも何処で "自信" という言葉を使っていいのか判りません。
誰かが「自信を持っていいんだよ」って云ってくれても、
自身が感触すら認識していないのだから、それを憶えることはできません。
そして大切に育てられという感覚はありますけど、愛情をというと、その感覚はありません。
そのぼくが、ある時(20年以上前です)、此処は居てもよいのかもという感覚を認識したときから、藻掻き始めたのです。
藻掻いて藻掻き続けた結果がいまです。
ただそれでも「なんでも」なんてのにはほど遠いので、なんでもではありません。
そして、自信という感覚がないから藻掻き続けています。
藻掻くのを止めたら、いまの居場所を、愛するひとを失う恐怖ともいえる感覚なら、幾らでもあるから。。。
時に、いまのぼくを羨ましがるひとがいます。
だったら、それだけ、必死になって藻掻いてからにしてください。
話はそれからです。
その代わり、認め合うからには、年齢性別など誤差としか認識しないのもぼくです。
ネット歴はすでにアラサーです。
年齢性別など認識しない世界に、生物としてのぼくの半分以上が在るのですから。
なので、例えば年下だからとかいう、ぼくにとってどうでもいい理由で礼をとらないとか、(TPOでの言葉遣いも含めて)上から目線しかできないかたとは認め合えませんのでよろしくお願いします<(__)>
それはぼくに対してというより、誰にもですからお間違いなく。
そう、、、
だからぼくは藻掻き続けている。
愛したひとが、大切だったひとが自慢できるように。。。
そして、愛するひとに、大切なひとに、
傍に居てよ
と云って貰うために。。。
written by かずちゃん(kazucy_i)