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本日(2014年9月8日)に、ポレポレ東中野へ12時半からの上映を拝見しに伺ってきました。
以下、私見及び雑感、かつ乱文です。買ったパンフレットすら読んでないので。
感想などという立派なものじゃないのでご承知おきくださいまし。
って、いつもそうですけどね。
はっきり言って、ただいまの私のこころはいっぱいいっぱいです。
咀嚼が追いつかない状態で、心臓バクバク。
夜はLIVEなのに、そのLIVE、入る空間があるのかな、私のこころに。
こんなにズッシリとした映画を拝見したのは、きっと初めてだと思います。
綺麗事だけでなく、濁ったものだけでもなく、ともにあわせのむような映画ですよ。
色々な意味で、ひとが生きることも、死ぬことも、映画も、音楽も、ね。
私自身がうつ病現在進行形で死ぬこともよく考えているし、リストカットで死ねなかった元カノもいた。
だから、死ぬことは、いつも隣にいる。安アパートの壁の向こうよりももっと近い。
誰かがそれとなく「ポンッ」と押すだけで、死ぬ可能性だってあり得る線の上をいつも歩いている。私みたいなヤツに、死ぬことの才能なんていらないんだよね。その「ポンッ」は、常人には当たり前としかとらえられないことも多々あり、きっと映画の中で本当に自死しかけたあの女の子もギリギリのところを歩いていて、「あの」、役者として生きることを選んだ身としては当たり前ともとれる一言も、薄い壁を破るには充分だったんだろう。見た目じゃ判らないから。
でも、そういう想いを抱えたままでも、安定させる術さえ見つければ、その線とも捉えられる路の上を歩いていくこともできる。それがいまの私には、親しい友達とちょくちょく逢えない分、LIVEで聴かせてくれる唄にほかならないから、いまも私なんぞの前で唄って、聴かせてくださる歌唄いの皆さまには、毎回毎回、そして日々感謝ですよ。だから、もし、、、もしも増田壮太さんが生きていたら、彼の唄もそうなってくれたのかな、、、と、何故出逢えなかったんだろう、、、と、そう考え込んでしまう。ただ逆はどうか判らなくて、私ごときがいたからって、壮太さんの一助になれたかどうかは、もう判るすべがないけれど。
ああ、咀嚼しきれていないから、もう乱文極まりないわ;^_^A
ごめんね(^◇^;
まあ、たまにはこういうズッシリとした映画も、観てみれば?
written by かずちゃん(kazucy_i)